学校の先生にならなかった理由 3つめ
私は、大学4年間で、小学校と幼稚園の教育免許と、あと「特別支援学校」という学校の教育免許を取得しました。
免許を取るためには1ヶ月ほどの教育実習も必要で、4年生の終わり頃、特別支援学校でも教育実習をさせてもらいました。
特別支援学校ってあんまり聞きなれないかもしれないけど、
視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者、または病弱者(身体虚弱者を含む)に対して、幼稚園、小学校、中学校または高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上または生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的としている(学校教育法第72条)学校です。
↑コピペ…。
私が実習にいった所は、たくさんの障がいが組み合わさっている子がいる学校で、目が見えなくて、耳が聞こえなくて、体にも不自由がある子とか、そういう子がほとんどの学校でした。
観術をまなんだ今だからこそ、整理ができることがたくさんあるけど、観術と出会う前の私は、その現場ですごく迷いました。
目が見えなくて、耳も聞こえない。
体も満足に動かすことができない。
その子どもを前に、何を教育したらいいのか、
全くわかりませんでした。
音楽の時間、工作の時間、体育の時間…。
自分が見えていること、感じることとは全く違う世界を感じて生きている目の前の子に、何を伝え、何を喜び、何を叱るのか。
目の前の子が笑う、泣く、おこる…
でもその理由や基準が全くわからない。
今まで当たり前っておもってた価値観がものすごく揺らぎました。
何のために人間は生きるのか、
人間の本当の幸せとはなんなのか。
今まで思っていた私の答えが、自分の今まで生きていた社会の条件の中でしか通用しないことがわかりました。
同時に、その答えもわからないのに、無限の可能性であふれる子どもたちの前に立つ資格はないなと思いました。
これが、先生を目指さなかった最後の理由。